CONCEPT コンセプト

松尾芭蕉も愛した歴史ある土地
今は水彩都市として発展を遂げた江東区の荒川リバーサイドに
永く快適に住むことができるコンドミニアム

一人一人の希望に寄りそう都市空間

住まいの選択基準は、個人個人により様々です。〈ライオンズステージキャピタルイースト〉では、共働きを支えてくれるマンション内の託児サービスや、高齢者には欠かせないフロントサービスが設けられています。結婚、養育、知育、教育、独立、生活、老後のライフスタイルの変化に追従できるようになっています。

江東区の歴史

東京都江東区は、江戸時代、江戸の大きな消費を支える海産物の生産、収穫地として、また縦横に張り巡らされた河川や運河を利用し、関東平野からの農産物を運んだ流通の街でした。そして、それに従事する人々が生活を営み、長屋に代表される共同生活が芽生えた街でもありました。昭和に至り、マンションが都市住宅の重要なポジションを占めるにつれ、マンションの建設が盛んになり、東西の交通網の整備とともに、人口が増え、「水彩都市」をスローガンに、河川と海辺の交通や環境整備が進められました。

江戸時代「文化の華」

西暦1600年。関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が、江戸のまちづくりを本格的に始めた頃、江戸湾を埋め立て、日比谷、銀座、深川などが誕生しました。なかでも深川などの現在の江東区周辺は、大名の下屋敷や豪商たちの別荘が集まる江戸のリゾート地として発展しました。美しい風景はしばしば浮世絵の題材となり俳句の松尾芭蕉をはじめ多くの文化人も、この土地を愛し江戸文化の大輪の華が咲きました。〈ライオンズステージキャピタルイースト〉周辺は、この頃、松林の広がる海辺であり、美しい風景は浮世絵師・歌川広重の「元八幡」で今日に伝えられています。また、「元八幡」は、現在の富賀岡八幡宮のことで、境内には芭蕉の「めにかゝる雲やしばしの渡鳥」の句碑もあります。

明治時代「河川と舟運が富を集めた」

関東大震災で壊滅的な打撃を受けた東京を復興するために建設された鉄筋コンクリートの同潤会の集合住宅。ダストシュートまで付いたモダンな住宅には入居者が殺到し、当時の東京市内13か所に建設されたアパートメントハウスの内2ヵ所は江東区内でした。区内には同潤会のアパートメントハウスの他にも、同じような集合住宅が数多く建設されたため、マンション街としての基盤が早くもこの時代に築かれました。第二次世界大戦の空襲にも耐えた、これらの鉄筋コンクリート集合住宅は、近年再開発が進み、最新設備を備えた超高層マンションに生まれ変わりつつあります。

現代「ニューウエーブを発信」

様々なスポットを結ぶ、多様なアクセスルートのある江東区。さらに、最先端の情報、ビジネス、アミューズメントやスポーツ、ファッションが集中しています。また、江東区は全世帯の過半数が集合住宅に住むマンションの街です。文化やレジャーのみならず、住宅地としても未来志向で、行政の集合住宅に対する施策も充実しています。マンションが建つたびに広場や公園が増え、緑がどんどん豊かになるなど、都市生活をエンジョイできる条件が整っています。
◇上記の内容・写真は分譲当時のパンフレットに記載されている内容を基に掲載しております。
◇掲載の参考写真、参考イラスト、概念図については、実際のものとは多少異なります。